実習行ってきました
すみません、1ヶ月ほど前に書いた記事です。。
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9日という期間を家族恋人以外の人と過ごすのは初めてだったので、行く前は緊張と不安でぐるぐるしていましたが、すご〜〜〜く楽しかったです。
1年の頃の実習ももちろん楽しかったのですが、コロナ禍で日数短縮されていたし、アウトドアに慣れるみたいなところもあってかなり設備面で不便なところがあったのですが、今回の実習では県?市町村?の施設を借りていたのでトイレやシャワーがきれいでしたし、なにより自分が専門にしたい分野に分かれての作業がほとんどで、その専門の班メンバーが最高だったので毎日楽しく過ごせました。
私は植物班でしたが、メンバーたちは連日植物を採取しては標本をつくったり同定作業に勤しんだりしていました。
班にはリーダー格の子が2人いて、これもすごくバランスがよかった。
1人は圧倒的な植物知識と同定力を持っていて、技術面でメンバーたちから頼られ
もう1人は全体を見る目が優れており、班員をうまく巻き込んで知識や情報を共有してくれた
他にも少しお調子者だけどその圧倒的明るさでつねに班員を笑顔にしてくれた子や冷静に物事を見てリーダー陣のサポートをしてくれた子などなど全員が前向きに行動していました。
ひとつしんどかったのが、寝る時は室内で自分の寝袋とスリーピングマットだったのですが安い薄めのスリーピングマットだったので途中で腰が痛くなりました。もともと体も硬く寝相もよくないので毎朝体がバキバキでした。ちょっと良いマット買うか悩むなぁ〜
植物に向き合えた9日間でした。次の実習も楽しみです。
GW終わっちゃったな
GWでしたが何したかあんまり覚えてないです。なんかあんまり休んだ感は無し、、
植物観察したり探鳥会参加したりボランティアで植物相調査参加したりしたので案外充実してたか・・・?
もう数えるほどもないくらいすぐに、2年になって初めての長期実習ですが、まだ何も準備していません。何も。まだ。
やばい。
でも、選考のための作文も終わっていない。実習行く前には出さないとなのに。やばい。
ギリギリ癖が発動してしまい泣きそうです。泣いています。1000字とか余裕じゃ〜んって思ってましたがそれは大学の頃のレポート地獄に鍛えられた時の私の感想でした。
なのになぜかブログを書いています。現実逃避です。
明日も授業なのにこんな時間。
最近夜更かしをすると次のダメージがひどいです。昔は徹夜してもそこまでのダメージじゃなかったのに、、、
あと1時間くらい頑張ったらとりあえず寝ます。
最近の学校について
今年度になって、去年度より学校の登校日が増えたりグループワークが増えたりして、クラスの子とも以前より話すようになった。
あいかわらず女の子はみんな可愛くて優しくて聡明。最高。
男の子は、チャラ系の子たちが軒並み退学してしまってめっちゃ落ち着いている。
大学の頃と比べて学年の人数は少ないが、それ故に関わる人が多い、というのが不思議で面白い。大学ではクラスなんてあってないようなものだったし、人数が多すぎて、席が近いとかサークルが一緒とか接点がないとまず話すことがない。
関わってみると、これももう何度も言っているけれどみんな良い子だ。私が大学生の頃は私もダメ人間だったし、まわりにもけっこうアクの強い子ってたくさんいた気がするんだけど、この学校の子は根本的に優しくてまわりに気を配れる子ばかり。自然が好きという思いのなせるわざか?偏見だけど、IT系の人は(私含め)プライド高めでひねくれものが多いと思う。全くの偏見だけど。
大学時代付き合っていた人は、当時の私の腐れっぷりを反映してかろくでもない人だった(とても失礼)ので、こういう子たちと楽しい青春送りたかったなあとちょっと思う。
さすがにひとまわり下の子に恋愛感情はなく、そもそも一方的に大事な人はいるので付き合いたいみたいなことではないですが、もし私が現役で同じくらいの年齢だったら好きになってただろうな〜という子もいる。
当時、大学じゃなくてこの学校に入っていたら楽しかったかな、でもそうすると今のクラスメイトたちとは出会えていないからそれも嫌だな、なんてどうにもならないことをずっと考えてしまう。
2年になってから、授業も去年より結構楽しい。まだまだだけど最初より知識がついたことも感じる。もうあと1年もないことがあまりにも悲しい。毎日の授業を噛み締めている。
4/19 ひとりごと
就職活動の中で筆記試験があるときがある。どんな問題が出るかなどは言われていないが、とりあえずよく使われるSPIでも出てくる、苦手な算数問題を解いてみる。
微分積分のような小難しいことはしないし指数対数なんかもでてこない。整数か時々分数を、四則演算を使って解くだけだ。けれど私は全く解くことができない。答えを見ても、どうしてそんな式をたてることができるのか理解ができない。こんな簡単な問題もできない自分にイライラする。
ふとむなしくなる。今更これらを必死で勉強して、就職して、また仕事中心の生活になっていく。
人と関わることが極端に苦手で、それも関係して仕事もあまりできない。けれどこのまま一生仕事をしないで生きていける財産もない。
今は子どもに対してあまりにも甘い、優しい親のおかげで生かされているが、親が仕事を辞め、果ては死んだらお金なんて全くなくなる。
同級生たちは、世の中の人たちはどうして仕事をし続けることができるのだろう。私はできないのだろう。生きていこう、自立しようという覚悟の差なのか。ただ私の欠陥なのか。
時々頭をかきむしり泣き叫びたくなる。どうして私は何もできないのか。それなのに生きているのか。
必死になれない。だから選ばれない。必要とされない。でもいなくなることが怖い。
人間じゃなかったら、すぐに淘汰されて消えているだろうに
今年度はポジティブに
ポジティブに生きたいと思ってます。
19歳相手にイライラすることが多くて、私はどれだけ心がせまいんだろうと悩んでいました。
イライラしながら生きるより、毎日楽しく笑顔で生きたいものです。
大学生の頃くらいまで、根はネガティブではあるものの、もっと単純で、楽しいことは本当に楽しいと思える心はもっていましたが、年々感情は鈍ってきています。
どうにかなろうとあがくよりも、諦めて受け入れる方が楽で
努力するよりも他人を妬んで僻んでいたほうが自分を守れているような気がしていました。
これらの考え方や気持ちはもう完全こびりついていて多分そうそう拭いとれないと思うのですが、自分を諦めたり他人を呪ったりしても自分は幸せになることはないしただ嫌な気持ちになるだけで何も変わらない。
頭では理解していてもそれを実施することが難しいのだけれど、、
他人に機嫌を振り回されるなんて自分は未熟すぎるなぁ。もう30歳も間近なのに。
いつまでも物事を斜にかまえてるなんてカッコ悪いなとようやく思い始めました。
あと、自分を卑下することも控えたいです。
自分を必要以上に低く言うことがちょくちょくありました。「自信ある」と思われるのが嫌で、自信あるくせに出来ていないと思われるのが嫌で、自分はダメだから、とあえて言うことがありました。
それもやめて、自分が大切にしていることとか頑張っていることはもっと堂々と言ってもいいかなとか。
偉そうにするとかではないですよ!言い方はもちろん気をつけるべきで、相手を不快にさせるのはよくない。
けれど、今までの私は相手を不快にさせることを過剰に恐れていました。
相手を嫌な気持ちにさせることに対しての責任を持ちたくないから、できるだけそうしないようにして、そうなるとまともに会話もできなくて結局暗いと思われるという悪循環。
生きていくなかで、相手に全く不快な思いをさせないことなんて無理だよな、、とある種開き直りの感情を持ってもいいかもしれません。
こんなことを思っていても、明日になったら人類滅亡しろとか思ってるような適当でどうしようもない人間ですが、残りの人生自分の心持ちで少しでもよくしていきたいですね。
就活が始まる
今までの仕事から逃げて学生に戻って能天気に暮らしていたが、再び現実が迫ってきている。
そう「就職活動」だ。
正直、大学生時代の就活より身が入らない。大学生の頃は、働くということがどんなものか理解しておらず、未知の世界へ踏み出せることに希望を抱いていた。
しかし、今の私は労働すること、そしてそれがつらかった記憶を持ってしまっている。だから、根本的に「働きたくない」という気持ちがある。
先日、先生方と主に進路について面談をした。私があまりにもこの先について考えていなさすぎて何人かの先生は若干引いていた感じがする。
私がこの学校に入った経緯を軽く知っている先生はフォローを入れてくれたが、それでも私はかなり煮え切らない態度だったと思う。
せっかく行く先を色々決められるのに、私はどんな仕事をすればいいかわからない。ポジティブに捉えるならば、何をしても楽しそうだと思う。
いちおう第一希望としている環境調査の仕事では、仕事次第で様々なところで生物の分布などを調べることができる。
造園関係では場所によっては小さいころ憧れていた樹木医になれるかもしれない。
環境教育では、子どもたちと楽しく一緒に自然について改めて学んでいけるだろう。
どれも甲乙つけがたい。
でも、できることなら、働きたくない。
大学生時代は、仕事内容や会社の特徴というのはそこまで見ていなかった。どこで仕事をしてもたいして変わらないと思っていたし、ともかく内定を欲していた。
運良く、最初から雰囲気が良いと思っていた会社が最初に内定をくれたからそこに決めた。給料もネームバリューもそこそこあったから少し誇らしかった。
実力がないくせに、プライドだけは異常に高かった。今も、高い。
学生時代の同級生や会社員時代の同期たちがきちんと働いていることが、ただひたすらすごいと思う。地元の友人は時短で働きながら子どもも育てている。親のすねをかじりふらふらしている私とは違いすぎる。
かつては「立派な大人」を描いていたはずだった。都心のビルの綺麗なオフィスで働き、26歳くらいで結婚して、子どもを育てて、家を買って。今思えば根拠のないただの夢物語だが、就職前はそんなふうに自然となっていくと思い込んでいた。
私は、どの道を選んでもきっと文句を言う。あっちにすればよかった、もっと良い人生になっていたはずだ、間違えさえしなければ。
でもどれを選んでもきっとそこまで変わらない。仕事は大変だしわたしはキラキラにはなれないし独りでなんとなく生きていく。
だから、病んでしまうほどこれからの進路を考える必要はないのかもしれない。どこに行っても楽しいし、つらい。
まずは、目の前のことから少しずつ片付けていく。どうにもならなくなったら、人生終わらせる切符をそっと切ればいい。