ひとりごと

ただの吐き出し場

来年度から学生になります

来年から2年間ほど学生に戻ります。

院生ではないです。専門学生です。

 

4年生大学の情報学部を卒業して、システムエンジニアっぽい職業を約5年ほどやりました。

が、どうしても仕事が楽しいと思えず、ここしばらく死んでるみたいに生きる毎日を過ごしていました。仕事で関わる人は優しく、決して多くないけれど生活できなくもない給料をもらい、安定はしていたと思います。

ですが、あまりに平坦な毎日で、面白いこともなく毎日8時間過ぎていくことに私はどこか恐怖を感じていました。私はこれからも特に楽しいとは思えないしたいして成長もしなさそうな仕事を続けていくのだろうか。そして、このまま続けていたら、私は面白くなさに死んでしまうと思いました。

何かつらい状況でもないのに死ぬなんて、と思うかもしれませんが、私は本気でそう思い、遺書を書いたり死に方を検索したりしていました。

もともと学生の頃から生きていることにあまり楽しみを覚えていなかったので、いい機会かもしれないと思いました。

 

そんな中で、唯一私の気持ちが動く時が自然に触れた時でした。

例えば空が突き抜けるような青空だったり、緑色の木々の葉っぱが風で擦れる音を聞いたり、海の深い青色を見たり。それらを感じることで私の心の片隅に「生きててよかった」という気持ちが芽生えていました。

そして小さな頃のことを思い出しました。公園で鳥や虫を探したこと、どこか異世界へ繋がっていそうな緑のトンネルを見つけては探検したこと。家の屋上で何時間も星を見ていたこと。

 

今みたいに性格もねじ曲がっておらず心も擦れていなかった頃の私が持っていた宝石のような記憶や謎をふいに今の私が受け取りました。ああ、樹木医になりたいとか言ってた頃もあったな。自然保護についてめちゃくちゃ調べていたこともあったな。なんて。

 

自然に関わる何かをしたいなと考えました。

未経験で仕事を探すことも考えなくなかったのですが、まずは就職などは考えず樹木や動物などについて学んでみたいなと思いました。IT業界ももう嫌だし、自然のことについて学んでから死んでもいいかなと思い学校を探し始めました。

今までの貯金は授業料でほぼ全部吹っ飛びます。この先何十年も生きる気がなかったのでそれでいいかと思い入学を決めました。

 

薄っぺらい逃げのような理由かもしれません。でも、私はそれくらいしか生きる道が見えていませんでした。

 

地元に帰省した時、いつも片道10kmほど自転車を漕いで海まで向かい、砂浜で一人でボーッとします。親はそんな遠いところわざわざ行って、と文句を言いますが、私は砂浜で海を見ることで生きる力を少しでも蓄えていました。

親にもかなり迷惑をかけることになります。少なからず私は仕事をこなし東京でなんとか生きていることで世間体も問題なかったのですが無職になりますから。知り合いに会って私のこと聞かれてもさぞ答えづらいことでしょう。なんてこれはひねくれた意見ですが。

実際のところ仕事を辞めて学校に行きたいと言った時「どうして」とは流石に聞かれましたが特に反論はされませんでした。末っ子ゆえに許された感はあります。ごめんね姉よ。

 

勢いで色々進んでしまったのですが、今になってこの歳で学生に戻ってうまくやっていけるのか不安で仕方ありません。若さも遠く、学生の頃の勉強も忘れています。

しかし、同時に楽しみでもあります。高校生だった頃は嫌いでしかたなかった勉強ですが、大学を卒業し社会人を経験したことで勉強の大切さも理解できています。学ぶことの楽しさも昔より知っています。

コロナ禍なのでどこまでできるかわかりませんが、フィールドワークも楽しみです。自分の身で体験することなんて久しくおこなっていません。

 

 

まずは卒業までは楽しく生きられたなと思っています。

その先はまだ未定です。生きようと思える何かを見つけられたらと思います。